ドロップアウトした偏差値エリートは幸せになれるのか?

大阪大学・大学院を卒業後、大手機械メーカーに就職するもメンタル不調を発症し2年でニートに。その後紆余曲折を経て現在に至る。 子どもの頃から賢い賢いと褒められて育って肥大化した自尊心と裏腹に、立身出世は絶望的という現実。正直、生きづらい。 そんな奴がこれから人並みに幸せになるにはどうするか考え、実践していく試みです。

Category: 自己紹介

アフィリエイト収入で生きていこうと意味不明なことを考えた僕は、公務員浪人をするでもなく、就職活動をするでもなく、ひたすらブログの執筆に注力することとなります。

毎日毎日3本程度の記事を書きました。

それを数ヶ月続けたのですが・・・

当たり前ですが、アクセスは大して増えず、従って収入もほぼゼロでした。

所詮、内輪でウケていただけです。

そして、そうしている間にも、生命保険、年金、健康保険、住民税等の費用は容赦なく引かれていきます。

気づいたら貯金も底をつきそうになってしまい、その段階まで来て自分はとんでもない判断ミスをしたことにようやく気づいたのです。

「何がアフィリエイト(笑)だ!こんなん上手くいくわけねーだろ!今から就活したり、公務員受け直したりしても、この期間のことどう面接で話せばいいんだよ・・・。受かるわけねえじゃん。しまった、もう終わりだ・・・。人生詰んだ・・・。」

こんなことを思い始め、再び後悔と自責のループに入っていきました。

全く愚かとしか言いようがないですね。

こうなってしまうと受験のときや前職を辞める直前同様の症状が再発し、堪らず前通っていた心療内科に足を運ぶと、やはり鬱病だと言われました。
(鬱病ハードル低すぎやろ・・・笑)


とは言え、何ヶ月も仕事をしてないのに鬱状態になってしまったわけですから、
これ以上休んだって回復するはずもありません。


むしろ、貯金がなくなる不安で症状が悪化しそうでした。

とにかく何かを変えるしかないと思った僕は、意識朦朧としながら再就職活動をする決意をします。

鬱状態で就職活動という、まあ無茶苦茶な日々がスタートしました。

ニート同然となった僕は、すぐさま地方公務員と国立大学職員の試験対策を始めました。

期間が短かったので、要点を絞って集中して学習しました。

こんなに集中したのは浪人生以来だろうというくらい真面目に勉強したのですが・・・、

第一志望の自治体、第二志望の自治体、国立大学職員の筆記試験、全滅でした。

特に国立大学職員の試験は手応えがあったので結構ショックでした。

さて、それからどうするか。

当初は公務員浪人をするつもりでした。

しかし、ちょうどこの時期に社会でバリバリ仕事をしている高校時代の友人、大学時代の友人と飲んだんですね。

そこで

「今から公務員や大学職員になれたところで、年齢的にコイツらには絶対勝てない。それに、年下の先輩が大量にいることになる。それって・・・嫌じゃね?」

と思ってしまったのです。

更に

「どうせ落ちるところまで落ちたんだから、もっと好きなことをして生きよう。元の場所にわざわざ戻ろうとすることもない。」


何やら訳のわからないことを供述し始め


結果、

ブロガーになってアフィリエイト収入で食えるようになろう!

と、作家になろうとして失敗したことも忘れ、

明後日の方向に突き進んでいくこととなります。

どうも僕は人生においてつまづくと、誇大妄想に囚われる傾向があるようです。

実家に帰った僕は地元の心療内科を受診し、

そこで正式に

鬱病

と診断を受けました。

遂にここまで堕ちたか・・・という思いでしたね。

いや、鬱病に偏見はなく、誰でもなるものだとは思ってますが、

僕の場合は長時間勤務があったわけでも、パワハラにあったわけでもない。

単に仕事ができなさすぎることと、そこに至るまでの進路選択のプロセスを思い悩みすぎて自滅した形なので、これを鬱病といっていいものだろうか・・・甘えじゃないだろうかと自分を責めましたね。

そこから1ヶ月はほぼ何もせず、薬だけ服用して1日中寝ていました。

2ヶ月目に入ると次第に落ち着き、先のことが考えられるようになってきました。

結論は割と簡単に出ました。

とにかく会社は辞めよう

と。

復職したところで仕事ができるようにはならないし、部署を変えてもらってもそれはそれで気まずすぎるからというのが理由です。

そして、その後具体的には地方公務員または国立大学職員を目指すことに決めました。

未経験でも一応OKですし、ペーパー試験の比重が比較的高いですから。

落ちこぼれても進学校卒。筆記試験には自信があります。

こうしてせっかく入った一流企業を、僕は僅か2年で自ら退職することになりました。

そして晴れて30歳目前にてニート同然になったのです。

心療内科に行くこと自体にはそんなに抵抗はありませんでした。

元々心理学の読み物が好きで、「マンガでわかる心療内科」のファンでしたので。

メンタルやばくなったらさっさと心療内科行っとこ、みたいなのはあったんですね。

で、実際行ってみて精神科医と話をした結果、

適応障害

と言われました。

・・・・・で?

って感じでしたね。

具体的にああしろ、こうしろと言われれば助かるのですが、そういう指示はなく、診断のみ。

結局何の解決にもならず、無理を押して無理矢理会社に通う日々が続きました。

部屋に帰ると相変わらず過去のことをグルグル悩んだり、不意に涙が流れたりなど、まあ情けない生活でしたね。

とにかくあらゆる意味で無能な自分が許せず、消えてなくなりたい、そればかり考えていました。

そうこうしているうちに状況は悪化し、空腹なのに食事が殆ど喉を通らなくなったり、人の話が全く頭に入らなくなったり、字が読めなくなっていきます。

仕事でのイージーミスも増える一方。

ここに来て上司から産業医と面談することを勧められ、面談した結果、

休職及び実家での療養


が決定しました。

そんなんじゃ何の解決にもならない!と拒んだんですが、他に選択肢もなく、社会人になって2年が経過する目前にて、僕は実家に帰ることとなります。


それはあまりにも情けなく、辛い現実でした。

日常業務すらままならず、それでいて謎のプロジェクトの任されて心身ともに疲弊した僕は、転職を決意します。

転職先は出版業界や教育業界、もしくは業界問わず事務系職を希望していました。

とにかく技術系の職場はゴリゴリでしたし、できれば興味のある業界に入ろうという気持ちでした。


そして転職エージェントに登録をし、転職活動を始めたのですが・・・案の定というか問題が発生します。

それは、

出版業界に転職するなら出版業界での経験、事務系就職するなら事務職での経験が多くの場合求められるということです。

そして、紹介される求人は技術系の仕事ばかりでした。

いや、当たり前やんけと思うかもしれませんが、当時の僕はそれを理解していませんでした。

新卒の就活と既卒の就活は違うんですね。

そのため殆どの企業は履歴書の時点で落とされます。

更に、かろうじて通った企業の面接でも、

・今の会社の仕事について
・今の仕事での経験を次の仕事にどう活かせるか

ばかり聞かれ、ことごとくしどろもどろになりました。

当然不採用の連続です。

転職という逃げ場も失い、秋頃にはいよいよ絶望感が漂い始めました。

「こんなはずじゃなかった。技術系就職なんかするんじゃなかった。理系に進むんじゃなかった。」

こんな後悔が頭の中を絶え間なくぐるぐる回り、精神的な疲弊がどんどん蓄積されていきました。

食事の量も減り、夜も眠れず、

これは真面目にアカン、と思った僕が次に取った行動は、

心療内科の門を叩くことでした。

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