ドロップアウトした偏差値エリートは幸せになれるのか?

大阪大学・大学院を卒業後、大手機械メーカーに就職するもメンタル不調を発症し2年でニートに。その後紆余曲折を経て現在に至る。 子どもの頃から賢い賢いと褒められて育って肥大化した自尊心と裏腹に、立身出世は絶望的という現実。正直、生きづらい。 そんな奴がこれから人並みに幸せになるにはどうするか考え、実践していく試みです。

僕はこれが大嫌いです。

自分自身がこの考え方に振り回された結果、

好きな仕事をやるどころか仕事がなくなる

という悲惨な末路を辿りましたからね。

初めから

「仕事は生活のためにやむを得ずやるもの。」

と割り切っていれば、最初の会社でもう少し我慢できたんじゃないかと思うことが多々あります。

まあ個人的な話はさておき、

こういう主張をする人の本をたくさん読んだわけですが、そこでいつも思うことは2つ。

1つは

「好きなことの都合が良すぎる」

ということです。

例えば好きなことで生きていくことを強く主張しているホリエモンこと堀江貴文氏は、

中学の時にプログラミングを好きになり、それを活かして起業して現在に至ってます。

実に実用的な「好き」だと思いませんか?

その成功体験を押し付けられても・・・という感じです。

堀江氏はとにかく好きなことだけしろ、それにハマれ、それが仕事になると言いますが、

僕が毎日

中日ドラゴンズの応援


を欠かさずしたところで一体何になると言うのでしょうか。

ビジネスになる「好き」とそうでない「好き」があるのです。

そして2つ目。

「好きじゃないことを仕事にしてる人がいなくなったらどうすんの?」

ということ。極論ではありますが。

例えば我々の生活に不可欠な公共交通機関だったり、農林水産業だったり、医療分野だったりで働いてる人って、全員が全員好きで働いてるわけではないですよね?

その人たちが全員

「好きなことじゃないから働かない」

とか言い出したらとんでもないことになってしまいます。

結局「好きなことで生きている人」は大多数の
「嫌いなことで生きている人」に支えられているのです。

こういうことを言うと、

「いや、つまらなくてやりがいのない仕事はAIやロボットの発展でやる必要がなくなってくる」

みたいな反論がありそうですが、

それ、いつよ?

という話でね。
今現在それじゃやっていけないんだから、仮定の話をされても困るわけです。

以上の理由から

「好きなことを仕事にする」という考え方に僕は反対します。

なんとか目の前の仕事を少しでも好きになれればなあという感じですね。

一応ブログタイトルは

「ドロップアウトした偏差値エリートは幸せになれるのか?」
 
という

鼻につく新書


みたいなものにしていますが、

正直なところ幸せになるのは殆ど諦めています。

あまりにも失敗を積み重ね過ぎて、条件的に厳しすぎるので。

だから、実のところ目標としているのは

不幸にならないこと


なのです。

それならどんな落ちこぼれにもチャンスはありそうでしょ?

で、そのために一番大事なこと、それは

健康


に他なりません。

例えば、

経済的に成功を収め、異性にもモテまくったが大病を患い闘病の末死ぬ人生



経済的にはカツカツで、一生独身だが全く病気にならず老衰で死ぬ人生

を選べるなら僕は絶対後者を選びます。

痛いのや苦しいのは大嫌いですから(笑)

ただ現実には経済的にも生物的にもダメで、病気にもなるという最悪のパターンもあるわけで、それだけは避けねばなりません。

だからこそ健康だけは同世代の誰にも負けたくないですね。

一応、基本的なことはしています。

適度な運動、毎日7時間睡眠、野菜、3ヶ月に1回の歯科検診。

お陰様で心理的にはイマイチでも体調的にはすこぶる好調です。

健康についてはいずれ詳しく書こうと思います。

よく思うんですけど、灘高校とか開成高校の落ちこぼれって、多分めちゃくちゃ辛いですよね。

僕は今まで散々書いてきた通り、田舎のフツーの進学校の落ちこぼれですが、それでも非常に人生が生きづらいです。

過去の栄光(笑)からの落差、友人との比較・・・

でも彼らに比べればまだマシだろうとは思います。

中高一貫ですしね。

完全に友人はエリート君だらけでしょう。

同窓会へ行こうもんなら医者、弁護士、研究者、外資系企業とか。

そんな中でドロップアウトしてしまったら・・・想像を絶しますね。

そこから立ち直って楽しくやってる人とかいたら、講演でもやってくれないかな。笑

需要は大いにあると思います。

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